おうちで映画時間。

アマプラなどで見た映画の感想を書いています。

映画感想『フェイブルマンズ』サミーの手の中でカメラは止まらない。

 

『フェイブルマンズ』2023年

 

幼い頃に初めて見た映画を忘れることができず、

幼いサミーは父親のカメラで初めての『映画』を撮る。

成長しすっかり映画に魅了されたサミーは映画を作り続けるが、

ある日、フィルムの中の母に違和感を覚え…。

 

小さい頃に出会ったものの中で強烈に覚えているものってありますよね。

幼い頃に大好きになって、大人になってもずっとずっと大事なままなもの。

私にとって、それは『お芝居』なのですが、

このフェイブルマンズに出てくるサミーにとっては『映画』でした。

 

初めて見た映画に衝撃を受けて、脳裏からずっと映画のシーンが離れなくて。

母親のすすめで初めてカメラで映像を撮る。そして母に褒められる。

こういう成功体験って、きっと子どもの中では大きい出来事なんだと思う。

映画に夢中になって、カメラで映画を撮り続けるサミー。

それはオリジナルの脚本だったり、ときにはホームビデオだったり。

サミーの中で『カメラを回す』という行為はもはや自分の一部になっていて。

それくらい夢中になれるなにかがあるって素敵なことだなぁ、と思った。

 

これってサミーが将来映画監督になって活躍するサクセス物語なのかな?

と思ったりもしたわけですが…、全然違いました!!

キャンプに行ったときのホームビデオを編集している最中、

サミーは違和感を見つけてしまうんです。

そのフィルムには、母と父の友人が仲良く手を繋いだりしている場面が映っていて…。

思春期のサミーはショックを受けてしまいます。

母への態度もおかしくなり、仲が良かった父の友人への態度も変に。

楽しく暮らしていた一家が、だんだんと不穏な雰囲気になっていき、

ついには、母は父より、父の友人を取ることを決意してしまう。離婚です。

ばらばらになる家族。泣いて抗議するサミーの妹たち。

サミーはというと、そんな様子をじっとカメラで撮影していて…。

ホラーを感じた瞬間でした。

でもサミーにとってはそれが当然の行動なんですよね。

だってカメラがなによりも大事だから。

 

サミーは言い方がアレですが、ちょっと変わった子だと思いました。

だけれど、その『変わってる』部分が『才能』で。

映画の道に進みたい、という夢を追って生きていきます。

なにかに夢中になるって、楽しいこともあるけれどたいへんなこともいっぱいで。

『楽しい』だけじゃ乗り越えられないものもある。

だけど、きっと『好き』という気持ちがあるから、

エンドロールが流れた後も、サミーはずっと変わらず映画を撮り続けていくんだろうなぁ。

 

映画のエピローグ部分でサミーはとある監督にこんなようなことを言われます。

「地平線が上と下にあるとき面白い画になり、真ん中にあるときつまらない画になる」。

これは単純に画面構図のアドバイスとも思えるし、

人生のバイオリズム的なもののことにも思えました。

 

平坦な人生は退屈でつまらない。

調子がいいとき、調子が悪いとき、そういうときにドラマが生まれる。

だからおもしろい。

そんな風に聞こえました。

 

フェイブルマンズ。

サミーがカメラを通して見たフェイブルマン一家の話。

そして、各年代のサム・フェイブルマンのお話、だったのかな。

 

なんだか、映画を大切に見よう、と思えた作品でした。